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犠牲のための犠牲のための犠牲 [雑記]

犠牲ばかりで失うばかり

生きるというはつらいこと

しがらみ絡む現代で

解脱するこそおかしけれ



どうも、ナオキです。

今日は疲れたのでポエムのまね事をしてみました。

何かを捨てて何かを得なければならないのです。

そこから進化してこそ人の本領だとかなんだとか。

あぁ、変なことを書いてしまっている・・・。




記事を書くたびにこの追記の部分に悩んでいます。

こう見えても悩んでいるんです。

それは内容の支離滅裂さからご確認いただけると思います。

このブログを巡ろうだなんて相当な物好きですよ。

時間つぶしのお供程度になれれば十分ですが。

それで、今日はちょっとしたジョークを言おうと思います。



イギリス料理はよく言えば素材の味を大切にするもの。

しかし、大抵の場合「まずい」「味がしない」というイメージです。

そんなある日、イギリス料理を食べようという話になりました。

そこには

ドイツ人
日本人
アメリカ人
イギリス人
フランス人

の4人が集まりました。

早速テーブルに前菜が出てきました。

キャベツをゆでただけのシンプルなものです。

それを見たドイツ人が絶叫しました。

ドイツ人「なんてことだ! イギリス人はこんなものを料理と呼ぶのか!」

日本人がテーブルの上にある調味料を指して言いました。

「違いますよ。客に味付けを任せているんです」

アメリカ人が急に立ち上がって叫びました。

「そうすればクレームを付けられないと思ったか! 訴えてやる!」

そんなことを言われてもイギリス人はどこ吹く風。

「これが我が国伝統の料理です。文句は聞きません」

そうなって騒ぎは大きくなるばかり。

そこでフランス人が口を開きました。

「どうしてイギリス料理は味がないか知ってるか?」

ドイツ人が怒って即答しました。

「舌が何枚もあるからだよ」



ちょっとドイツとフランスのポジションが入れ替わってるかもしれません。

まぁ、そういうネタですよ。

ジョークっていうのは5割のユーモアと4割の教養と1割のドス黒さでできているものです。

ちなみにですがソ連や東ドイツではジョークが盛んだったといいます。

ジョークとは巧みな生存手段の一つだったということだと思います。

辛い現実を少しでも笑って吹き飛ばして耐えようという意思を感じますね。

私はジョーク大好きです。

これは皮肉屋教育から皮肉屋に成長し、
皮肉屋としてジョークを好きになったというプロセスがあります。



今日の結論

ジョークとはユーモアと教養からなる
笑いと哀しみのエンタメである。

モンティ・パイソンがその例ですね。

理解できるネタの少なさが悔しいです。

まぁ、ひとまず今日はここまでです。

それでは、また。
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